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,黒バス

ハロウィンの夜


 大変です、流星群です。

 黒子っちが珍しく慌てていたのでなにごとかと思い訪ねてみれば、そういう拍子抜けな答えが返ってきた。

「流星群って、そんだけスか?」
「ええ、しし座です。しし座流星群です」
「いやそんなこと聞いてないし」

 どうにも話が噛み合わない。

「どうしてそんなに興奮してるんスか」
「だって、はやく逃げないと」
「逃げる?」

 そうです。だって遭難、しちゃいますよ。
 黒子っちはどうやら真剣らしかった。

「流れ星って死者の数だって知ってますか?」
「知らないっス」
「それだけの数の人間が死ぬんですよ」
「はあ、」
「だから、流星群ともなれば、かなりの数が死にますよ。逃げ惑いますよ」

 パンデミックですよ。
 そうなる前に避難です。

「さあ黄瀬君、荷物をまとめてください」

 黒子っちは真剣らしかった。



 逃げなきゃいけないのは俺も同じだったから、これはこれで好都合だった。

「最近後ろに居るんスよねえ、いつもいつも。しつこくてさ。いい加減逃げなきゃって思ってたんスよ。ちょうどいいから、黒子っち一緒に逃げましょう」
「そういう都合のいい相手扱いするならボクは構わず君をパンデミックの渦中に放り込んであげる覚悟です」
「ひどっ」
「ボクはほんきです」
 
 本気と書いてマジです。
 そうだろうねえ。俺は頷いた。伊達や酔狂でこんなこと出来やしねえッスよねえ。とは、まあ、云わない。
 黒子っちは本気だった。本気で荷造りしてきた。部活が終わってすぐ、帰宅してすぐ。自宅の玄関先に俺を待たせて荷物をまとめて、そして出てきて、「さあ次は黄瀬君の部屋に行きましょう」と云った。素直に従っていれば、何時の間にか神奈川の俺の家の前に居て、そして

「早く荷物まとめてきてください、ボクは部屋の外で待っています」

 そう言い残して玄関扉の向こうへ彼は消えてしまった。

「部屋いなよ、外寒いッスよ」
 
 すると彼は、恐縮するでもなく淡々と普通に答えた。「ボクはその部屋には入れませんから」
 なんで? 訊きたかったけれど、彼は「では」と扉を閉じてしまう。
 仕方がないので、云われたとおりに荷物をまとめた。

「黒子っち寒くないの? 制服だけじゃん、今いつだと思ってんスか。冬ッスよ。しかも夜ッスよ」
「確かに寒いです。でも、着の身着のままだったものですから……」
「そんなに慌ててたんスか。時間結構あったと思うけど……。ほら、俺のコート着てなよ」

 サービスでマフラーも手袋も着けちゃうッスよー。
 嬉々として彼に自分のそれらを身に着けさせると、ぶかぶかのコートの裾をつまんでは予想通りにむくれてみせてくれた。
 嫌味ですか。
 違うッスよ善意ッスよ!
 短い前髪をつまんで、自分の胸ほどしかないその頭頂部をゆっくりと撫でて掻き混ぜた。ふわふわだ。気持ちいい。ちいさい。でも、こんなに小さかったかなあ。
 違和感。
 小さな、でも大きな、齟齬。食い違い。
 見過ごしては後悔していく、小さくて、だからわざと見過ごしてしまうフリを続けてゆく、日々の営みのなかの。そういう種類の。
 たとえば。
 たとえばそれは、部屋の隅に小さく小さく重なっていく埃のような。すぐにでも気付いた時に取り除いていれば、あんな大掃除も大労働も苦労もせずに済んだはずの、日々を営みすぎてわざと見なかったふりを続けた怠惰のような。
 そういう、罪悪に近いもの。
 それでも、知っていて見過ごすもの。

 でも、それを気にしている場合ではないようだった。黒子っちは相変わらず本気でせっついくるし、俺は俺で背後の視線が更に気になり始めている。なんだんかんだでお互い急いでいるようだ。せわしないけれど、俺もまた海常の制服にコートを羽織っただけの姿で外へ出て行った。
 出る際に確認した時計は、夜の八時を指していた。
 部活を終えて誠凛を出て黒子っちの家に寄って神奈川に来て。
 それで八時ってのは、おかしいよなあ。
 それは部屋の隅の埃と一緒。
 10月31日。しし座流星群。

「ほんと、おかしいッスよねえ」

 それも部屋の隅の埃と一緒。
 いつか重なって、大きくなる怠惰と罪悪。



「背後は大丈夫ですか?」

 黒子っちが気づかわしげに尋ねてくる。とりあえず、都心を離れようと決めた。ぱんでみっく?が起こった時にいちばん怖いのは都内とか密集地に居ることらしい。確かにハリウッド映画とかで大混乱になるのは決まって自由の女神のおひざ元だ。人間がたくさんいるところの大事故は大きな混乱と騒ぎになる。パニックになる。それが二次被害を起こす。うん、都心は離れた方が賢明ッスね。さすが黒子っち。頭いい。

「よくないですよ。よかったら、こんなことにはなってないです」
「こんなこと?」
「君を巻き込んだりして、」
「巻き込む?」

 なにやら穏やかではない。

「ねえ黒子っち、流星群はいつ降り出すんスか?」
「23時過ぎにはぱらぱら来始めるはずですけど…」

 ぱらぱらって、そんな小雨みたいな。
 歩きながら話して、俺は小さく苦笑した。

「それまでには、どこか安全なところに行ってないといけません」
「それって、どこなら安全なの?」
「星の見えない、降らないところでしょうか」
「洞窟とか? あ、シェルターとか」
「そうですね。そういうのもいいかもしれないです」

 あとは、夜、とか。
 黒子っちはぽそりと付け足した。

「……夜?」
「はい」
「……いま、夜ッスよ」
「そうですね。でもこの場合の夜は流星群の降らない夜です。今夜じゃない。今夜は駄目です。よく晴れているから」

 大雨の夜とか最適なんですけれど。
 
 見過ごした埃が大きな綿ぼこりへと成長し、視界の端を占領し始めたような心地だった。
 いや、視界の端どころか、喉の奥と胸の底とにつかえて溜まって呼吸を阻害しているような心地ですらあった。胸が苦しくて、ひゅうっ、と隙間風のような呼吸音が喉の奥で寂しく鳴った。そろそろ危ないと分かっていた。
 それでもまだ黙っていた。
 背後にも、まだ居た。

「ところで背後の方は、」
「ああ、ダイジョブッスよ。付いてきてるみたいだけど、そろそろ離れてくと思うし」
「……その口ぶりだと、誰なのか正体は分かっているようですね」
「えーと、まあね」
「教えてもらえますか?」
「別にいいスけど」

 じゃあ代わりに、黒子っちもちゃんと教えてね?
 真っ暗闇のなか、立ち止まる。立ち止まった俺を振り仰ぎながら、中学三年生の姿のままの、黒子テツヤが俺を見詰め返す。
 じっと。俺の瞳の奥のその深淵の、その先を見据えるように。
 俺の本音を見透かそうとでもするように。

「……いいですよ」

 俺は微笑んだ。彼の答えに笑みを返した。
 その行動に、瞳のかたちに、表情に、16歳の彼を視た気がしたから。
 だから。問われたことに、正直に答えた。

「俺のうしろ付いて回ってんのは、俺ッスよ」
「……」
「なんか、何時の間にか離れちゃってたみたいで」
「……」
「元に戻りたいらしいんスけど」

 めんどくさくてさ。首筋を撫でるように掻いて、照れのようなものを誤魔化した。
 黒子っちは黙っていた。

「俺はさ、いろんな人のいろんな真似して模倣して、自分の本当とかどっか落としてきちゃってんスよね。本当はなにを思ってたんだろうとか、何が出来ていたはずだったのかなとか、何が見えていたのかとか、誰を好きで、何が嫌いで、誰に好かれてて、何を欲しがってたとか。取り戻したほうがいいって、分かってはいるんスけどね」

 でも、きっと。
 取り戻したらが最後。

「俺、壊れて泣いちゃう気がする」

 黒子っちは黙っていた。

「才能とか容姿とか、欲しくて持ってたわけじゃねえんスよ。アンタにしたら嫌味でしかないだろうけど。でも、それが本当のことなんスよ。世界って、そういう理不尽なものでしょ。持ってる俺にも持ってないアンタにも、ただただ理不尽でしかない、そういう最低な場所でしょ」

 そんな場所に生きてく上で、本当のことなんて、取り戻してどうするの。
 俺は空を仰いだ。星が見えていた。きっともうすぐ、流星が落ちてくる。降ってくる。小雨みたいに。そのうちに豪雨みたくなって。
 きっと沢山。
 死んだ俺の感情の分だけ。

「そんなの、要らねえッスよ。俺はもう、要らない」

 仰いだ首をもとに戻して、目の前の彼を見た。
 俺は話したよ。次は黒子っちの番だよ。
 視線で促す。
 すると、彼はわずかに沈黙を続けて、やがてゆっくりと口を開いた。「ボクは、」

「ボクは、実は君のことが好きでした。中学生の頃から。この容姿のときから」
「マジすか」
「はい。だから、後悔していました」
「こうかい?」
「君のこと、置いて行ってしまったみたいで」
「……そんなこと」
「お互い様でした。それは分かってます。ボクだって傷ついていた。絶望していた。でも、先に裏切ったのはボクだったのかもしれない。そう、思っていました」

 だから後悔していました。
 懺悔みたいだった。小さな頭が項垂れていた。
 ふと眩しさが視界を掠めて、なにかと見遣れば、大きな星屑が落ちてきていた。彼のすぐ隣に光が降っていた。
 しし座流星群だ。はじまったんだ。

「今日ってハロウィンじゃないですか。知ってますか? 幽霊とかお化けとか、お祭りに紛れてるんですよ。たくさん」
「そうなんスか……青峰っちとか知ったら叫びだしそうスね」
 
 彼が小さく笑った。

「だからボクも、お祭りに紛れて来てみたんです」
 
 星が降る。礫のように硬く見えて、炎のように熱そうな光が。星屑が。
 重力を無視した勢いと儚さと、そして力強さで。

「逢いに、来てくれたんスか。俺に」
「はい」
「未来から?」

 彼は笑うだけだった。

「ただもう、後悔したくなかっただけなんです。ボクは」

 自分勝手でごめんなさい。
 星屑が重なる。何時の間にか、俺と彼とは星屑の水辺のなかに居た。立っていた。あんまりに流星が降るものだから、光は積み重なり、広い海へとなってしまったらしい。みなもの光が彼の顎のラインと頬骨のかたちと、瞳の奥の水色とを照らしていた。
 きれいだった。
 ああ、好きだなあと思った。

「黄瀬君、ボク、ずっと君が好きです。もう置いてったり、しませんから」

 だから、後ろで泣いてる君を、取り戻してあげてください。

「大丈夫です。君がおもうほど、世界はひどくないですから」
「黒子っち、」
「好きです。君も、君の苦しみも、君の背後の泣き虫の君も」

 世界で待ってます。

 そう云って微笑んで、黒子っちは星屑の波間に消えてしまった。
 背後に居た白いブレザー姿の俺も、消えていた。
 俺はただ泣いていた。

 夜に遭難してしまった、とあるふたりの少年の、とあるハロウィンのお話だ。

#黄黒

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