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かくれんぼごっこ
side:Kuroko/dawn
かくれんぼは得意でした。けれど、見つけてもらえないのはなかなかに苦しかったです。ぼくのそんな呟きを、誰も拾わない。ぼくは倉庫にいる。隠れている。だれからも隠れている。あの五人から隠れている。違う、隠れている、がなりたつのは、探している、があるからだ。この校舎のなかに、「探している」は、ない。
ぼくを探す人はいない。
足音がする。にせもののかくれんぼに終わりはないから、これはぼくを探すそれではない。けれど、かくれんぼに違いはないので、ぼくは息をひそめる。ここは暗い。とても。うっすら湿っていて、猫っ毛のぼくの髪はすこし、うねる。いつかそれを、彼は撫でて云った。「やらけーな、」ふつうの感想でしかないのに、その、その笑顔ひとつだけで。すべての一瞬を、すべての光景を、ぼくに焼き付ける。ぼくを焼き殺す。
彼はずるい人だったろう。けれど、けれど。粗野だけど、それは純真だった。乱暴だけど、誠実だった。こわいけど、やさしかった。ばかだけど、きづくのはいつだっていちばんだった。
いつだって、ぼくをいちばん最初に見つける人だった。
けれど君は「探さない」。かくれんぼなどはなからはじまりはしなかったのだ。これは茶番だ。ぼくのひとり遊びだ。お遊戯にもなれない、ぼくの一人芝居だ。
ぼくは寂しかった。
ここは暗い。うっすら湿っていて、ときどき、指の先が少し震える。それほど寒い。 そして、倉庫だからとても狭い。錆びた鉄棒が、朽ちて床に倒れている。血の匂いのような赤い錆の匂いは、懐かしい嫌悪のそれに似ていた。ボール籠も同じく錆びていて、格子上のそこからボールが落ちていた。空気が抜けて、疲れきったような、もう泣けませんと云っているような、くたびれた姿をさらしていた。死体のようだった。
(それは一体誰のことなんだ、)
ぼくは、だれにも答えない。
ぼくは誰にも探されないから。
近づいてきていた足音は、けれどそのまま倉庫の前を通りすぎて、次第に遠退いていった。とても慌ただしいような、軽快なような、そいでいてもつれるような、せわしなくて、悲しい足音だった。なにか、探しているのかもしれない。必死なのかもしれない。見つかるといいですね。ぼくは体育座りの膝のなかへ、そんな言葉を落とす。
かくれんぼは終わらない。はじまってすらいないから、終わるはずもない。
そのうち、とても眠たくなってきた。すえた匂いしかしない、暗くて陰気で、寂しくて、苦しいだけのこの第四体育館倉庫は、ずっと暗いままだった。影のままだった。いや、影ですらないのかもしれない。陽が照って、その彼の下に長く濃く伸びてゆくそれを影と呼ぶのなら、ここは影でさえない。
ここには、ただなにもないだけ。
彼らのいないぼくのスタイルのように。
いつのまにか、眠ってしまっていたようだった。
今、何時だろう? いや、現実(いま)は、何時(いつ)なのだろう? 彼がぼくと笑っていたあのときだろうか? 彼がぼくを見つけ出してくれたあの出会いだろうか? 彼と分かり合えないことを痛感した、あの虚しい瞬きだろうか? 君のそんな姿勢をぼくは好きだと思いますと、そう告げたあの放課後だろうか? 悔しいと床に蹲る君に、真摯でありたいと思った、あの夜半だったろうか?
ぼくは、いつを生きていたのだろうか?
「お前、考えすぎなんだよ。」
呆れたような、けれど明るい声がした。そして重たい音が響いた。それは開く音だった。それは開く人の声だった。
足音なんてしなかった。なのに、そこに“彼”は居た。
「ぼくは、ドアノブをはずしてしまったはずなんですけど、」
「はあ? のぶ?」
彼は、堅く閉じられた倉庫の扉をこともなげに開け放ち、ぼくの前へとまっすぐ立った。ぼくは暫し呆然とする。だって、長い間こんな暗い場所にいたものだから、なにもわからないのだ。
わからなかったのだ。
ぼくは、逆光になったその姿を、しっかりと見ることができなかった。彼の姿や、彼の表情や、彼の向こう側にあるその景色を。世界を。未来を。確かめられなかった。
ただ、彼の背後に続くどこかが、ひどく眩しい。
まばゆくて、暗がりのなかのこの瞳など、すぐにでも焼き潰されてしまいそうだ。
けれど、焦がれるそれだった。待ち望んだそれだった。
太陽のような、
赤い焔のような、
その、光。
「これ、スライドドアだろ。ノブなんかはなからねーよ、」
お前ばかじゃねーの。とっとと練習行くぞ。
そう云って、君がぼくの手を引く。
ぼくは倉庫から出ていく。
(探して、ほしかったんです。)
────────────
side:Kise/sunset
だって、かくれんぼなんて数えるほどしかしたことなかったんすよ。俺は走りながら考える。考えるけれど、そんなの、なんの意味もない。でも、それをいったら、こうやって夕焼けの射す、赤い廊下をひた走ることにだって、なんか意味あるっての? それこそ、無意味なんじゃないの? そんな言葉が首をもたげて、蛇みたいに囁いてくる。知らない。意味なんて知らない。俺は全然賢くないから、だから知らない。そういうむずかしいことは、あの人たちみたいに賢い人たちが考えればいいんだ。そうだ、彼が考えて思案して、彼が同意して頷いて、彼が頷いて俺の背中を押して、そうして俺が斬り込み隊長。試合のはじまり。おれの幸福のはじまり。そうだ、それでいいんだ。それでよかったはずなんだ。
俺がむずかしいことを考えて咀嚼して理解して、正解を導きだすとか、そもそもそれがおかしいんだ。違うんだ。
じゃあ、どうして、彼らはいないんだろう?
俺がばかすぎたのがいけないのかもしれない。みんな、愛想をつかしたのかもしれない。
だったら俺、中間テストも期末テストもちゃんと赤点回避するからさ、宿題だってちゃんとやってくるっす、授業中にパラパラ漫画とか描かないし、ふざけたりもしない。真面目にやるから。
だからまた、
また、ワンオンワンやってよ、一緒にコンビニ行ってアイス食べてよ、ばかだなって顔で笑いかけてやってよ、だからお前はって嘆いてやってよ、
置いていかないでよ。
なんでもいいのに。
なんでもよかったのに。
ここがよかったのに。
ここしか、なかったのに。
リノリウムの音は冷たい。歩くとかつかつ云って冷たい。走るとかかとを傷めて辛い。無機質な音が、冷たい。好きじゃない。バッシュの滑らせるスキール音だけ聴いていたい。
けれど俺は、走らなければならない。
みんなが探さない人を、見つけなければならない。
彼は屋上に、彼は第一体育館のコートに、彼は教室に、彼は校門に、それぞれ居た。すぐに見つけた。なのにひとり足りない。絶対に足りない。
探さなくていいのどうして探さないの。俺らチームでしょアンタ光なんでしょアンタが見つけたんでしょアンタほんとは認めてたじゃないっすかアンタいちばん気があってたじゃんか俺なんかより!
俺なんかよりも。
ずっと。
「必要がない」って、返事だけが届く。
あとは、探していないのは第四体育館だけだった。続く渡り廊下は赤かった。夕陽は落ちて、地平線で燃えていた。鮮烈な血の色で世界の線を溶かして、融かして、けれど俺の問いを解かしてくれることはない。お前は太陽ではないでしょう、と、そう云われているような気さえ。
廊下を渡り終えて、コート内へ立つ。静かだ。誰もいない。スキール音もしない。ボールが跳ねる音もない。磨かれた床だけが、すべらかに俺を映している。俺は逆さまになって俺を見上げている。それを無視した。探さなきゃ、あの人を。見つけなきゃ、あの人を。走り出す。スキール音ではない。バッシュをはいていない。ユニフォームではない。高く高く、射して降りてくる夕焼けの赤。彼のその色より、それは色濃く、まるで焔のような、燃えるようなそれだった。ちがう、と思った。俺の知っている赤色じゃない。これは、違う。はやくしなきゃ、はやくしなきゃ、はやくしなきゃ、はやくしなきゃ。
ふと、思い立って立ち止まりそうになる。俺は、今何を着ていたっけ。そっと胸に手を伸ばした。触れた感触に、ぎくりとした。だめど、まだ、まだきっと気づいてはいけない。時間が経ってしまうから。取り戻せなくなってしまうから。
まだ。
走って、沈みゆく夕焼けに追いたてられて、汗をかいて、窓の外に一番星を見つけてしまって、探して、覗いて、悩んで、そして、最後。あとは、あそこだけだ。第四体育館の倉庫。あそこだけ。あそこにきっと、
きっと。
きっと君は笑ってくれる。必死になりすぎてる俺を見て、呆れて、腹に一突きお見舞いして、馬鹿なんですか、君はって。溜め息ついて、明日は大切な全中試合ですよ、そんなに疲れて、支障でもでたらどうするんですか。腹への一撃に涙目で蹲る俺の頭を、そうして、薄く笑って一撫でしてくれて。
その様子をみて、君の肩に自分の腕をまわしながらあの人が笑って、ばーかって、そんなことよりワンオンワンやんぞワンオンワン! 君も大概バカですよね、んだとテツ! 貴様らうるさいのだよ、みどちんのがうるさいーおなかへったー、そろそろ練習再開するぞお前ら、
そういう、
たったひとつの俺の場所が。
きっと君と一緒に、戻ってくるはずなんだ。
俺は立ち尽くす。ノブのない扉を前にして、気づく。
ああ、ほんとうに何も分かってなかったんだって。
そう呟いたら、驚くほど簡単に涙が流れて、頬を伝って。
なんだか暗いなあと思って見上げてみたら、外はすっかり暮れていた。夜になっていた。
ああ、新しい日々はとっくに始まっていたのだ。
俺は高校の制服を着ていた。
(一緒に、居たかったんだ。)
────────────
side:Aomine/late at night
夜、だろうか。
暗かった。いつの間に眠っていたのか。すっかりとっぷり日は暮れて、俺の眠る屋上はまるで暗闇で、夜中のようで、そして、たまらなく寒い。寒かった。涼しかったからここにいたのに、楽だからここに逃げてきたのに、こんなに寒くちゃいみねーだろ。悪態。無神経な言葉。ならば起き上がればいいものを、俺はそうしない。一番星を探すでもない、星座なんてひとつも知らない。知らないことを教えてくれる、隣の影は、夜には浮かばない。
昼だったら、影はできる。太陽が照る。そうしたら、隣にあいつが存在できるから、存在するから、知らない星座もそいつに教わればいい。俺が知らないことはあいつが教えてくれるし、あいつに出来ないことは俺がやってやる。そんだけでいい。たったそれだけでいい。それだけで、きっと太陽のスイソバクハツとか、一番星のホントウノナマエだとか、そういう世界中のことは、俺のものになる。そしてお前のものになる。おら、簡単な話じゃねえか。
「“だからぼくたち、どこまでも一緒にゆこう”、ですか?」
「なんだそれ、」
「失礼しました。君に文学の心得があるわけなかったですよね。」
「喧嘩売ってんのは分かるぞハッキリとな。」
隣の声は涼しい。ひやりとしているのに、冷たくない。きっとちょうどいい温度なんだろう。いくら太陽が出ていたって、スギタルハナントカサル、なんだろ? 熱すぎては意味がない、寒すぎても死んでしまう。そういう不便な生き物。ザリガニみてえに単純にはいかない。アメーバみたいに簡単にはいかない。こいつは単純でも簡単でもない。ただ、優しさの適切な温度を知っているような気がする。それがちょうどよかったのかもしれない。心地よかったのかもしれない。よくわからなかった。めんどくさかった。アイスをかじった。
「僕としては、そこらへんはちゃんと考えて欲しかったんですけれど、」
「あ?」
「いえ、」
晴れて陽の照る屋上に、並んで座る。俺の隣で、しゃくしゃくと、そいつはアイスをかじる。屋上はさすがの俺よりも背が高い。その分空に近い。近すぎて、透明な天井が、ひどく広い。透き通っている。
でも、と。
同じように、透き通った声。
「でも、本当はもう、気づいているのでしょう?」
君は。
アイスをかじる音が止んだ。
「夜に影は存在できない。」
ぽそりと、小さくはっきり、声。
「だから、ぼくは君に星座を教えることなんてできませんし、そもそも、君は、ぼくの浅はかで、稚拙で、小さくて卑しくて矮小で些末な教えなど、言葉など、思いなど、このスタイルでさえも。なにも、本当には必要ないんです。」
必要としていないんです。
俺は、その声の先の表情を知らない。瞳を見ていない。
どんな色をしていたのかも、どんな意味を伝えていたのかも。
ただ、近すぎる空から逃げるように、目蓋をおろしていた。
きつく、きつくきつく。かたくとじて。
逃げてく。反らしてく。
「そんなものがなくとも、君は好きに世界を手にできるし、好きな場所へ走ってゆける。指先を絡めて、自分のものにできる」
「それを、もう、君は知っていたのでしょう。」
もう一度開いた視界のその先に、太陽は照っていなかった。夜だった。星があった。名前も神話も歴史も何等星なのかも、なにも知らない星。
知らなくても生きていける俺の世界。
ああ、そうだな。俺はひとりで頷く。隣に座っていたはずの姿も、アイスをかじる涼しげな音も、俺の耳へ届いていたはずの優しい声も、いつの間にか、もう、どこにもない。俺が寝ている間に、夜に溶けてしまったのかもしれない。
あんまりに暗くて、薄くて、寒い夜だったから。
夜、だったから。
そんなこと、ほんとうに気づきたくも知りたくもなかったけれど。
今、こうして夜の屋上に、ひとりで眠っていることが。
全ての証拠だ。証だ。
俺は、正しかった。
ねえ、大ちゃん。
俺の視界のなかで、逆さまになった女がいる。長く長く、淡い色味の髪を垂らして、俺の視界をはらはらとその一筋一筋で守ろうとしている女がいる。俺はその髪の隙間から、星の光が漏れてくのを見ている。女がふとまばたきをして身動ぎするたびに、髪の 一筋を、その光が滑っていく。
ねえ、帰ろうよ。寒いよ。
女の苦笑いが暗闇のなかで逆さまに映るけれど、見えなかったふりをした。
そうであってもそのままで済む、そういう世界、遊戯、かくれんぼ。そうだ、俺は鬼のはずだったけれど、俺だって、誰かに見つけられる側になりたかったのかもしれない。探されたかったのかもしれない。その手を疎みながら、蔑みながら叩き落としながら、それでも、それでも、探して欲しかった。
太陽のない夜に、あいつは存在しない。
きっと、君は馬鹿ですね、って、笑わない。
(もう、なにもしない。)
#キセキ+黒
#短編
2024.10.15
No.26
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side:Kuroko/dawn
かくれんぼは得意でした。けれど、見つけてもらえないのはなかなかに苦しかったです。ぼくのそんな呟きを、誰も拾わない。ぼくは倉庫にいる。隠れている。だれからも隠れている。あの五人から隠れている。違う、隠れている、がなりたつのは、探している、があるからだ。この校舎のなかに、「探している」は、ない。
ぼくを探す人はいない。
足音がする。にせもののかくれんぼに終わりはないから、これはぼくを探すそれではない。けれど、かくれんぼに違いはないので、ぼくは息をひそめる。ここは暗い。とても。うっすら湿っていて、猫っ毛のぼくの髪はすこし、うねる。いつかそれを、彼は撫でて云った。「やらけーな、」ふつうの感想でしかないのに、その、その笑顔ひとつだけで。すべての一瞬を、すべての光景を、ぼくに焼き付ける。ぼくを焼き殺す。
彼はずるい人だったろう。けれど、けれど。粗野だけど、それは純真だった。乱暴だけど、誠実だった。こわいけど、やさしかった。ばかだけど、きづくのはいつだっていちばんだった。
いつだって、ぼくをいちばん最初に見つける人だった。
けれど君は「探さない」。かくれんぼなどはなからはじまりはしなかったのだ。これは茶番だ。ぼくのひとり遊びだ。お遊戯にもなれない、ぼくの一人芝居だ。
ぼくは寂しかった。
ここは暗い。うっすら湿っていて、ときどき、指の先が少し震える。それほど寒い。 そして、倉庫だからとても狭い。錆びた鉄棒が、朽ちて床に倒れている。血の匂いのような赤い錆の匂いは、懐かしい嫌悪のそれに似ていた。ボール籠も同じく錆びていて、格子上のそこからボールが落ちていた。空気が抜けて、疲れきったような、もう泣けませんと云っているような、くたびれた姿をさらしていた。死体のようだった。
(それは一体誰のことなんだ、)
ぼくは、だれにも答えない。
ぼくは誰にも探されないから。
近づいてきていた足音は、けれどそのまま倉庫の前を通りすぎて、次第に遠退いていった。とても慌ただしいような、軽快なような、そいでいてもつれるような、せわしなくて、悲しい足音だった。なにか、探しているのかもしれない。必死なのかもしれない。見つかるといいですね。ぼくは体育座りの膝のなかへ、そんな言葉を落とす。
かくれんぼは終わらない。はじまってすらいないから、終わるはずもない。
そのうち、とても眠たくなってきた。すえた匂いしかしない、暗くて陰気で、寂しくて、苦しいだけのこの第四体育館倉庫は、ずっと暗いままだった。影のままだった。いや、影ですらないのかもしれない。陽が照って、その彼の下に長く濃く伸びてゆくそれを影と呼ぶのなら、ここは影でさえない。
ここには、ただなにもないだけ。
彼らのいないぼくのスタイルのように。
いつのまにか、眠ってしまっていたようだった。
今、何時だろう? いや、現実(いま)は、何時(いつ)なのだろう? 彼がぼくと笑っていたあのときだろうか? 彼がぼくを見つけ出してくれたあの出会いだろうか? 彼と分かり合えないことを痛感した、あの虚しい瞬きだろうか? 君のそんな姿勢をぼくは好きだと思いますと、そう告げたあの放課後だろうか? 悔しいと床に蹲る君に、真摯でありたいと思った、あの夜半だったろうか?
ぼくは、いつを生きていたのだろうか?
「お前、考えすぎなんだよ。」
呆れたような、けれど明るい声がした。そして重たい音が響いた。それは開く音だった。それは開く人の声だった。
足音なんてしなかった。なのに、そこに“彼”は居た。
「ぼくは、ドアノブをはずしてしまったはずなんですけど、」
「はあ? のぶ?」
彼は、堅く閉じられた倉庫の扉をこともなげに開け放ち、ぼくの前へとまっすぐ立った。ぼくは暫し呆然とする。だって、長い間こんな暗い場所にいたものだから、なにもわからないのだ。
わからなかったのだ。
ぼくは、逆光になったその姿を、しっかりと見ることができなかった。彼の姿や、彼の表情や、彼の向こう側にあるその景色を。世界を。未来を。確かめられなかった。
ただ、彼の背後に続くどこかが、ひどく眩しい。
まばゆくて、暗がりのなかのこの瞳など、すぐにでも焼き潰されてしまいそうだ。
けれど、焦がれるそれだった。待ち望んだそれだった。
太陽のような、
赤い焔のような、
その、光。
「これ、スライドドアだろ。ノブなんかはなからねーよ、」
お前ばかじゃねーの。とっとと練習行くぞ。
そう云って、君がぼくの手を引く。
ぼくは倉庫から出ていく。
(探して、ほしかったんです。)
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side:Kise/sunset
だって、かくれんぼなんて数えるほどしかしたことなかったんすよ。俺は走りながら考える。考えるけれど、そんなの、なんの意味もない。でも、それをいったら、こうやって夕焼けの射す、赤い廊下をひた走ることにだって、なんか意味あるっての? それこそ、無意味なんじゃないの? そんな言葉が首をもたげて、蛇みたいに囁いてくる。知らない。意味なんて知らない。俺は全然賢くないから、だから知らない。そういうむずかしいことは、あの人たちみたいに賢い人たちが考えればいいんだ。そうだ、彼が考えて思案して、彼が同意して頷いて、彼が頷いて俺の背中を押して、そうして俺が斬り込み隊長。試合のはじまり。おれの幸福のはじまり。そうだ、それでいいんだ。それでよかったはずなんだ。
俺がむずかしいことを考えて咀嚼して理解して、正解を導きだすとか、そもそもそれがおかしいんだ。違うんだ。
じゃあ、どうして、彼らはいないんだろう?
俺がばかすぎたのがいけないのかもしれない。みんな、愛想をつかしたのかもしれない。
だったら俺、中間テストも期末テストもちゃんと赤点回避するからさ、宿題だってちゃんとやってくるっす、授業中にパラパラ漫画とか描かないし、ふざけたりもしない。真面目にやるから。
だからまた、
また、ワンオンワンやってよ、一緒にコンビニ行ってアイス食べてよ、ばかだなって顔で笑いかけてやってよ、だからお前はって嘆いてやってよ、
置いていかないでよ。
なんでもいいのに。
なんでもよかったのに。
ここがよかったのに。
ここしか、なかったのに。
リノリウムの音は冷たい。歩くとかつかつ云って冷たい。走るとかかとを傷めて辛い。無機質な音が、冷たい。好きじゃない。バッシュの滑らせるスキール音だけ聴いていたい。
けれど俺は、走らなければならない。
みんなが探さない人を、見つけなければならない。
彼は屋上に、彼は第一体育館のコートに、彼は教室に、彼は校門に、それぞれ居た。すぐに見つけた。なのにひとり足りない。絶対に足りない。
探さなくていいのどうして探さないの。俺らチームでしょアンタ光なんでしょアンタが見つけたんでしょアンタほんとは認めてたじゃないっすかアンタいちばん気があってたじゃんか俺なんかより!
俺なんかよりも。
ずっと。
「必要がない」って、返事だけが届く。
あとは、探していないのは第四体育館だけだった。続く渡り廊下は赤かった。夕陽は落ちて、地平線で燃えていた。鮮烈な血の色で世界の線を溶かして、融かして、けれど俺の問いを解かしてくれることはない。お前は太陽ではないでしょう、と、そう云われているような気さえ。
廊下を渡り終えて、コート内へ立つ。静かだ。誰もいない。スキール音もしない。ボールが跳ねる音もない。磨かれた床だけが、すべらかに俺を映している。俺は逆さまになって俺を見上げている。それを無視した。探さなきゃ、あの人を。見つけなきゃ、あの人を。走り出す。スキール音ではない。バッシュをはいていない。ユニフォームではない。高く高く、射して降りてくる夕焼けの赤。彼のその色より、それは色濃く、まるで焔のような、燃えるようなそれだった。ちがう、と思った。俺の知っている赤色じゃない。これは、違う。はやくしなきゃ、はやくしなきゃ、はやくしなきゃ、はやくしなきゃ。
ふと、思い立って立ち止まりそうになる。俺は、今何を着ていたっけ。そっと胸に手を伸ばした。触れた感触に、ぎくりとした。だめど、まだ、まだきっと気づいてはいけない。時間が経ってしまうから。取り戻せなくなってしまうから。
まだ。
走って、沈みゆく夕焼けに追いたてられて、汗をかいて、窓の外に一番星を見つけてしまって、探して、覗いて、悩んで、そして、最後。あとは、あそこだけだ。第四体育館の倉庫。あそこだけ。あそこにきっと、
きっと。
きっと君は笑ってくれる。必死になりすぎてる俺を見て、呆れて、腹に一突きお見舞いして、馬鹿なんですか、君はって。溜め息ついて、明日は大切な全中試合ですよ、そんなに疲れて、支障でもでたらどうするんですか。腹への一撃に涙目で蹲る俺の頭を、そうして、薄く笑って一撫でしてくれて。
その様子をみて、君の肩に自分の腕をまわしながらあの人が笑って、ばーかって、そんなことよりワンオンワンやんぞワンオンワン! 君も大概バカですよね、んだとテツ! 貴様らうるさいのだよ、みどちんのがうるさいーおなかへったー、そろそろ練習再開するぞお前ら、
そういう、
たったひとつの俺の場所が。
きっと君と一緒に、戻ってくるはずなんだ。
俺は立ち尽くす。ノブのない扉を前にして、気づく。
ああ、ほんとうに何も分かってなかったんだって。
そう呟いたら、驚くほど簡単に涙が流れて、頬を伝って。
なんだか暗いなあと思って見上げてみたら、外はすっかり暮れていた。夜になっていた。
ああ、新しい日々はとっくに始まっていたのだ。
俺は高校の制服を着ていた。
(一緒に、居たかったんだ。)
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side:Aomine/late at night
夜、だろうか。
暗かった。いつの間に眠っていたのか。すっかりとっぷり日は暮れて、俺の眠る屋上はまるで暗闇で、夜中のようで、そして、たまらなく寒い。寒かった。涼しかったからここにいたのに、楽だからここに逃げてきたのに、こんなに寒くちゃいみねーだろ。悪態。無神経な言葉。ならば起き上がればいいものを、俺はそうしない。一番星を探すでもない、星座なんてひとつも知らない。知らないことを教えてくれる、隣の影は、夜には浮かばない。
昼だったら、影はできる。太陽が照る。そうしたら、隣にあいつが存在できるから、存在するから、知らない星座もそいつに教わればいい。俺が知らないことはあいつが教えてくれるし、あいつに出来ないことは俺がやってやる。そんだけでいい。たったそれだけでいい。それだけで、きっと太陽のスイソバクハツとか、一番星のホントウノナマエだとか、そういう世界中のことは、俺のものになる。そしてお前のものになる。おら、簡単な話じゃねえか。
「“だからぼくたち、どこまでも一緒にゆこう”、ですか?」
「なんだそれ、」
「失礼しました。君に文学の心得があるわけなかったですよね。」
「喧嘩売ってんのは分かるぞハッキリとな。」
隣の声は涼しい。ひやりとしているのに、冷たくない。きっとちょうどいい温度なんだろう。いくら太陽が出ていたって、スギタルハナントカサル、なんだろ? 熱すぎては意味がない、寒すぎても死んでしまう。そういう不便な生き物。ザリガニみてえに単純にはいかない。アメーバみたいに簡単にはいかない。こいつは単純でも簡単でもない。ただ、優しさの適切な温度を知っているような気がする。それがちょうどよかったのかもしれない。心地よかったのかもしれない。よくわからなかった。めんどくさかった。アイスをかじった。
「僕としては、そこらへんはちゃんと考えて欲しかったんですけれど、」
「あ?」
「いえ、」
晴れて陽の照る屋上に、並んで座る。俺の隣で、しゃくしゃくと、そいつはアイスをかじる。屋上はさすがの俺よりも背が高い。その分空に近い。近すぎて、透明な天井が、ひどく広い。透き通っている。
でも、と。
同じように、透き通った声。
「でも、本当はもう、気づいているのでしょう?」
君は。
アイスをかじる音が止んだ。
「夜に影は存在できない。」
ぽそりと、小さくはっきり、声。
「だから、ぼくは君に星座を教えることなんてできませんし、そもそも、君は、ぼくの浅はかで、稚拙で、小さくて卑しくて矮小で些末な教えなど、言葉など、思いなど、このスタイルでさえも。なにも、本当には必要ないんです。」
必要としていないんです。
俺は、その声の先の表情を知らない。瞳を見ていない。
どんな色をしていたのかも、どんな意味を伝えていたのかも。
ただ、近すぎる空から逃げるように、目蓋をおろしていた。
きつく、きつくきつく。かたくとじて。
逃げてく。反らしてく。
「そんなものがなくとも、君は好きに世界を手にできるし、好きな場所へ走ってゆける。指先を絡めて、自分のものにできる」
「それを、もう、君は知っていたのでしょう。」
もう一度開いた視界のその先に、太陽は照っていなかった。夜だった。星があった。名前も神話も歴史も何等星なのかも、なにも知らない星。
知らなくても生きていける俺の世界。
ああ、そうだな。俺はひとりで頷く。隣に座っていたはずの姿も、アイスをかじる涼しげな音も、俺の耳へ届いていたはずの優しい声も、いつの間にか、もう、どこにもない。俺が寝ている間に、夜に溶けてしまったのかもしれない。
あんまりに暗くて、薄くて、寒い夜だったから。
夜、だったから。
そんなこと、ほんとうに気づきたくも知りたくもなかったけれど。
今、こうして夜の屋上に、ひとりで眠っていることが。
全ての証拠だ。証だ。
俺は、正しかった。
ねえ、大ちゃん。
俺の視界のなかで、逆さまになった女がいる。長く長く、淡い色味の髪を垂らして、俺の視界をはらはらとその一筋一筋で守ろうとしている女がいる。俺はその髪の隙間から、星の光が漏れてくのを見ている。女がふとまばたきをして身動ぎするたびに、髪の 一筋を、その光が滑っていく。
ねえ、帰ろうよ。寒いよ。
女の苦笑いが暗闇のなかで逆さまに映るけれど、見えなかったふりをした。
そうであってもそのままで済む、そういう世界、遊戯、かくれんぼ。そうだ、俺は鬼のはずだったけれど、俺だって、誰かに見つけられる側になりたかったのかもしれない。探されたかったのかもしれない。その手を疎みながら、蔑みながら叩き落としながら、それでも、それでも、探して欲しかった。
太陽のない夜に、あいつは存在しない。
きっと、君は馬鹿ですね、って、笑わない。
(もう、なにもしない。)
#キセキ+黒 #短編