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APH

君の心臓
その人しか知らなかったからその人が全てだった。本当はもっと他にもあったのだが、それはあくまでいつかの記憶の断片でしかなく、俺のものではなかった。俺だけの記憶と感情が欲しかった。支配された思考は、もう嫌だった。

そうしたら、その人は俺から奪った心臓を、本当はだいじに取っといてあるんだよ、とのたまった。どこにあるのですか。俺は必死に食い下がった。眼球を幾度も貫かれたが、それでも喰らいついて、聞き出した。その人は心底楽しそうに言った。

「ある国にあげたんだ。心臓は結晶化させれば強力な魔力の礎になるからね。君のだけじゃない。ライヴィスのも、エドァルドのも、それぞれバラバラの国にプレゼントしたんだよ。」

嬉しい?その人は笑っている。ライヴィスは、檻の奥で震え上がっていた。エドァルドは、何も言わずに、打たれた腹部を庇うようにして、蹲っている。

俺は、死んでしまうかもしれないと思いつつも、考え、発言した。蝋燭の灯が彫りの深いその人の笑みを濃く見せた。

怖かった。

「あなたに新しいお友達を連れてきます。だから、俺たちを少しの間、ここから出して下さい。」

***

前の記憶では、外に出たことがあった。だが、今の自分が外に出るのは初めてだった。ライヴィスは涙を一筋流し、エドァルドは言葉もなく太陽を見詰めていた。
そうか、あれが太陽なんだ。
俺が感慨深げに呟くと、二人とも、はっとして、表情を引き締め、そして決心したようにめいめいに森から出て行った。またいずれ、戻ってくるかもしれないその森の入り口で、俺は、俺の心臓のある国へ急いだ。裸足に触れる土の感触が、優しくて、気持ちよかった。泣いてしまうほどに。

道中で、服や靴を奪った。身なりを整え、国の門番に魔法をかけ、自らの身分を偽った。全て前の記憶から捻り出した知恵だった。王の前に通されるまで、そう時間はかからなかった。

「そなたが騎士トーリスか。」

噂はかねがね諸国より耳にしておる。わが国に尽くしたいというその熱き忠義に報い、我が息子の騎士として仕えることを許そう。
そういった旨の王の言葉を、俺は、哀れだと思いながら聞き終えた。哀れな王は、目の前の男を、俺を、騎士トーリスと信じて疑わなかった。かけられた魔法ゆえに。

「お前が仕える、我が息子、フェリクスだ。」

王は、自らの横に鎮座する青年に目配せした。青年は、金糸の髪を揺らして立ち上がり、玉座に頭を垂れる俺の前へと、歩み寄った。その足取りは機敏でかる迷いがなく、王族としての威厳に満ちたものだった。
だから、俺は油断していた。
王子は俺の頭をその手で上げさせ、そして予想だにしない言葉を放った。

「ちんこみせろし!」

***

フェリクス王子は、相当の変わり者だった。理解できない洗礼を受けた俺は、呆然としながら、言葉を返すこともできず、ぐるぐる脳みそばかりを回転させて、どう反応するのが一番ふさわしいものか、半ば混乱状態に陥りながら考えあぐねていた。
見かねた王が助け舟を出し、王子を叱責したが、青年は、ぶうと不貞腐れた顔をして、渋々御座に戻っていっただけで、結局俺は彼に対しなんら反応も返さぬまま、謁見を終えた。
それからのフェリクス王子もまた、強烈だった。

「お前の部屋ピンクにしといたしー。」
「乗馬とかよりポニーの方がかわいいと思わん?乗ポニーでよくね?」
「リトって呼んでええ?」

俺は閉口した。苦笑も漏れかけたが、それは留めた。俺のでない記憶の感情は容易に浮かべたくなかった。フェリクス王子は俺が曖昧な返答で済ますたび、不満そうに頬を膨らませた。そして、また、俺は苦笑しそうになる。(前の記憶で。)
そんなやりとりを一週間続けた。俺は屈託のない(しかし悪意の孕んだ実にやりにくい)フェリクス王子の相手を続けた。部屋を警護するときに、蛇苺をプレゼントされ、口に放り込まれたときは、生まれて初めて、自分の感情で怒りを覚えた。それはあまりに気持ちのよくない感覚だった。熱が頭へ、まなじりからこめかみを伝って昇ってゆくその感覚を味わいながら、俺は、本気で、笑ってしまった。
自分の、笑顔を浮かべたのだ。
初めて。
くつくつと、やがてはっきりと声を上げて笑い出した俺を、最初は奇異なものを見るように見ていたフェリクス王子は、そのうちに、にや、と、いつもの笑みを浮かべて、しかし決して下卑て見えないそれでもって、俺に向かい言った。

「やっと笑ったしー。」

***

「お前、最初は人形みたいな顔しとったから。」
フェリクス王子はのちにこう語った。俺が笑ってから、一月が経っていた。水色の空は陰りを帯びて、鈍色の雲が蔓延りだす季節を迎えていた。俺はそれを、冬の到来だと知っていたが、初めて見たものだから、「暗い季節ですね、」と、王子にこぼした。彼は「いい空だし。」と返した。俺は意外に思い、本の山に埋もれて、しかしその手にとるのはパステルカラーの絵本ばかりの王子へ、「そうですか?」と返した。王子は絵本をしげしげと眺めながら、「見つからんしー。」と呟いている。俺と会話する気はないらしい。(いつものことだが。)
城の地下の書庫は、とても暗い。赤茶色の煉瓦が洋燈の灯りにほの暗く発色し、赤くぼやけた世界を作り出していた。橙色の灯りはなつかしも、侘しくもあり、寂しくもあた。それらの感情を、俺はたった一月で、一気に経験した。好きな果物を知った。嫌いな言葉を知った。笑顔の心地よさを知った。(それは浮かべるのも、視るのも、両方において、)
なにより、誰かと会話することの意味を知った。

「どこいったんやろー、」

特にこの、風変わりな王子との間において。
俺は改めてその姿を見下ろした。金糸の糸は手入れの行き届いた艶めきを保ち、至極退屈そうな表情を浮かべていても、その顔立ちは整っている。王子か、と嘆息した。よく分からないが、溜息が出たのだ。

「王子、結局何を探してるんですか?」
本の波間に沈み、姿の見え隠れを繰り返している王子へと問う。
「本だしー。見れば分かるしー。」
「分かりませんよ…。」
「ていうか、敬語はやめろ、ってゆったんやけど。」
「そう言われましても、」
「敬語には答えないっつー。」

じと目で睨まれる。

「じゃあ、何を、探してるの、フェリクスは。」

躊躇いがちに、ぽつぽつとこぼす。途端に応じは、フェリクスは笑顔になる。それもいつものにやにや笑いではなく、ぱっ、と瞬くように、無垢っぽい、年齢にそぐわない子供染みた笑みを。俺は、だからつい、気を許してしまうのだ。
つい、自分が、心臓のない、モノだということを、忘れて、しまうのだ。

「絵本なんやけど、昔な、乳母に読んでもらったものなんよ。西の白い魔女に、心の臓器を取られる人形の話。」
「…は、」
「けっこーエグイ話やったのは憶えてるんやけど、結末だけ忘れたから、気になったしー。それで探してんよー。」

俺は、堅く堅く、重たい石の塊になってしまった。
西の魔女?心の臓器をとられた、

「…それ、は、」

声が枯れた。掠れた。舌が歯を滑らず、もつれる。フェリクスが怪訝そうに見詰め返す。「それは、ハッピーエンドだった?」

「忘れたしー。」

フェリクスの無邪気な笑い方が、胸に突き刺さった。

***

鈍色の空からは、やがて白い粉が降るようになった。フェリクスは勉学の合間合間をぬっては、城内の庭園へ出て、空からのそれらを眺めた。お付きの者として、その度に俺もまた、外へ出た。雪の白さにフェリクスが溶け込むのを、(しかし決して溶け込まないのを、)淡く見詰めていた。果敢なかった。命が、寒さの中で果敢なかった。フェリクスは時折振り返り、笑って、意味の分からないことを言って、また空へ視線を戻した。その後姿は、ぼやけもせず、明確に輪郭を持つのに、しかしいつか崩れるのだと、俺に囁いた。それは、前の記憶で俺が死んだことと同じことのはずだ。同じ事象のはずだ。だのに、違っていた。違っていたのだ。
俺は、彼に死んで欲しくないと、その後姿を見る度に思った。

「絵本は見つかりましたか?」

就寝する前、彼が寝台に横たわるのを侍女たちが世話する傍らで。俺はフェリクスへ訊いた。フェリクスは頭を振り、「見つからんわー、もうリトが探しといて。」と、不機嫌そうに返した。俺は苦笑し、「そうしておきます、」と言うと、侍女たちと共に退室した。

「トーリス様には、本当によく心を開かれてますわね。」
侍女の一人が、回廊を歩きながら話しかけてくる。
「そうかな、王子は皆に平等だと思うけれど、」
「いいえ、王子は気難しい方で有名でしたから。一人の方へこれほど心をお許しになるなんて、今まで一度だってありませんでしたわ。」

トーリスさまの人徳の為せる業ですわね。他の侍女たちがはやしたてる。
俺は、笑って返した。不自然に、ぎこちなく、笑った。それは謙遜ではなく、罪悪でしかなかった。ないはずの心臓に痛みが走ったのは、これが初めてだった。

***

「×××××、」

その夜、声が降った。眠りから目を覚ますと、暗がりの中に見覚えのある人影が立っていた。黒のローブの奥で、知った顔がこちらを見下ろしている。

「エドァルド、」

俺は、身体を起こして、彼の名を呼んだ。エドァルドは、ほっと息をついて、笑った。

「元気そうで安心したよ。」
「君も。…君が笑ったところを、初めて見たよ、俺。」
「僕もさ。」

ふふ、と笑いあう。お互いに、死ぬ前から同じ檻の中に居たのに、お互いのことを初めて見るような、会ったような気持ちになった。同じ籠の中に居て、同じ虐げを受けて、それでも自分たちは、互いに人ではなかったのだと、確信してしまった。それが悲しかった。今更どうしようもないほど、それが事実だった。

「…お互い、変わったようだね。」しばしの沈黙ののち、呟く。
「そのようだ。」

俺は、フェリクスのおかげでしっかり板についた苦笑を浮かべた。

「ライヴィスは?」
「もう、会ってきたよ。」
「じゃあ、」
「ああ、時がきたんだ。」

君の準備は、と、エドァルドが尋ねる。
俺は、出来ている、と答えた。

雪が降らない日だった。それでも庭園は白く染まったままで、フェリクスはまた外へ出たがった。俺はまた、彼に付き添って行った。フェリクスは庭に出てすぐ、振り返り、にやりと笑いながら言った。「いいもん見せてやるしー。」

広い園は緑も枯れて寂れていた。鈍い鼠色が覆う舞台の上で、唯一の色彩がフェリクスの金糸の髪と、子供のような柔肌の色だと思えた。それほど、色のない世界だった。(自分の色は、はなからありもしなくて、)
こんな中で、一体彼は何を見せてくれるというのだろう。そう考え、後ろ姿を見失わないよう、追いかける。

「アレ、リト、アレやし。」

ふいに立ち止まり、アーチを描く林の中、奥まった場所にある一本の大木を、フェリクスは指差す。俺はいぶかしみながらも、「この木がなにか?」と返答する。すると、彼は、実に面白くないものを眼前に突きつけられたような、酷く憤っているような、なんとも言えない表情を浮かべた。「リト、目ぇ悪いん?」哀れみやえ含んだ言葉に、俺はもう一度大木をじっくり見詰める。それこそ穴があくのではないかと思うほどに。

「あ…、」

緑の合間に、小さなさえずりを落とすものが居た。力も弱く、羽を振り乱すでもなく、悲しげに、ぴぃぴぃと鳴いている。

「小鳥?」
「そうやし。」
「でも、どうしてこんな季節に…、」

フェリクスは、至極当たり前のことを告げるように続けた。

「あいつ、置いてかれたんよ。」
ぴぃ、と、また鳴き声が響く。憐憫の色彩で、フェリクスはそれを見詰める。俺も、それを仰ぎ見た。

「羽がなかったんよ。」

緑はかさかさと音をたてて、小鳥を責め立てた。俺は、いたたまれない思いで、それを見た。

「飛べないってことですか?」
「うん。奇形らしいし。」

ないから、ないなら、置いてかれて、ひとりになるしかなかった。
俺の中の、いつかの、誰かの記憶が囁いた。俺はそれを打ち消したくて、小鳥から目を背けた。

「だから、」

フェリクスは、トーンダウンしていた声音を、突然に張り上げた。そして、

「あの小鳥、お前にやるし!」
虚をつかれた形で、俺は言葉を失う。
一方の彼はというと、満足げに、ふん、と鼻から一息ついて、俺の反応を窺っていた。拒絶されるなど、夢にも微塵にも思わない、思いつきもしない、純粋で純然な、無垢なる緑の瞳と、かち合い、俺は、砕かれる思いに駆られた。真っ直ぐな、無邪気な、信用、信頼、信じる気持ち。
彼の中の、自らの立ち位置に、身震いした。
俺は、半目置いてようやく、「分かったよ、フェリクス。俺が面倒見る。」そう、返した。フェリクスは勝ち誇ったような、満足したような、安心したような面持ちで、頷くと、「名前はポニーな。」
笑ってそう言った。
俺は、その笑顔を網膜に焼きつけた。絶対に色褪せない記憶の額縁へ嵌めこんだ。それと同時に、周囲の人気を察知し、無人であることを確認すると、彼へ、一歩踏み出した。フェリクスは飛べない小鳥を見上げている。俺は、雪を汚すように、ずり、と歩いて、また一歩近づいた。彼が振り向いた。俺は既に、剣を抜いていた。それを、真っ直ぐ、(苦しまないように、)(一瞬で終わるように、)(その瞳が濁るいとまさえないように、)左の胸へと、突き立てた。
色のなかった世界に、赤い滴が転々と染み入る。

「…あ、……、」

ごめんねも、言わなかった。俺は剣を突き立てたまま、彼の身体を抱き寄せた。奪われる前のぬくもりを知りたかった。けれど、雪景色の中、彼の温度は既に奪われて久しく、それは叶わなかった。
力が抜ける。彼が崩れる。こぷ、と、口から赤いそれがこぼれる。

「他国の騎士であるトーリスは、王子であるフェリクスを殺す。王は怒り狂い、トーリスの属する他国を攻め入る。国宝である、魔力を秘めた心の臓の結晶を携えて。しかし、戦乱のさなか、国宝は何者かに奪われる。皆は戦いながら、疑問に思う。騎士トーリスとは一体誰のことだったか?そんなことが他国でも起こる。互いに理由なき戦をし、その合間に各国の心の臓の結晶は消える。それが、俺たちの筋書き。」

腕の中で、フェリクスの浅い呼吸が、ヒュウ、と響いた。遠い口笛のようだった。

「術にかけられていたとも知らないで、」

こぷり。垂れ流された血。俺の胴を、腕を、濡らしていく。
鮮明な色。濃密な香り。生ぬるい、温度。
冷えていく身体。
申し訳ないも、すまないも、ごめんも、言わないと決めていた。死んで欲しくないと願ったその胸を、貫くことを、自分だけは責めるために。罪悪で自らを殺せるように。
なのに、

彼の白い手は伸びて、俺の頬を撫でた。

「フェリ、ク、」
「…、…。」

彼は、一言、呟いて、笑った。
無垢を取り去って、純粋を塗り潰して、赤くなって、無邪気を装わずに、彼は、初めて、俺の前で、ただ普通の、笑顔を象った。
指から力が抜けて、ゆっくりと、その腕が下ろされたとき、
俺は初めて泣いた。

他二国で同じように立ち回っていたライヴィスとエドァルドも、うまく事を運べていたらしく、戦火は瞬く間に広がった。王たちは実在しない騎士の名を大義名分に、争い、国土を血に染めた。俺たちは、それを視ていた。誰もが、罪悪を抱くまいと、心に決めていた。(生きるために、ただそのためだけに、俺たちは、この人たちを、殺したのだから。)

「×××××、行こう。あの人に知られない地へ、行かないと。」

エドァルドだった男が、言う。俺は頷いて、歩きだした。



(心の臓がなくたって、俺は君と笑えたし、君を思えたし、泣くことだって、出来ていたのだ。本当は、本当に欲しかったものは、)



#リトポ #短編 #死ネタ

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