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APH

曖昧


 イギリスさんがいらっしゃいましたので、熱い茶をお出ししました。すると、彼の人はびっくりしつつ、茶碗をしげしげと眺めだしたのです。「どうされました?」と訊きますと、イギリスさんは襟足を少し掻いて、「この前来たとき、この茶碗が気にいってたんだ。」
 気にいった茶碗がまた自分に差し出されたことを嬉しく思ったんだそうです。

「客には皆同じものを?」

 イギリスさんは、おずおずと申し訳なさそうに訊いてくるので、私はなんだかおかしくなって、小さく笑って、「いいえ、お一人お一人、分けてお出ししています。」と、からかうことなく、茶化すことなくお答えしました。イギリスさんは、ぱっと眉尻を下げて、(それにしてもなんと立派な眉毛でしょうか!)そうか、うん、そうか、とぽつぽつとこぼしました。私は、なんだかいじらしくて、いじましくて、目の前のお方をひとしきり撫で倒したい気持ちに駆られたのですが、なんとか思い留まり、お出しし忘れていた茶菓子を差し出しました。イギリスさんは、瞳をくるくるさせて、時折、日の光をその虹彩にきらきら反射させながら、椀を見詰めて、笑っていました。とても、愛らしくも美しいお姿でした。

 私は、先日交わしたある会話を思い出していました。「彼といることほど安らかで、苛ただしくて、疎ましくて、いとしい時間はないよ。」これはとある青年の言葉です。その方の言うことは、残念ながら私には共感も理解も出来なかったのですが、しかし、そのお気持ちだけは、幾許か察することが出来ました。彼の人は、きっと愛しいのでしょう。イギリスさんが。私もです。そこはきっと、同じです。ただ、その受け止め方と、受け取り方と、そしてイギリスさんが抱く、相手への想いの違いが全ての差異なのでしょう。彼の青年が狂おしくも苦しくも離せぬイギリスさんとのひと時と、私が見詰めて繋いで離せぬイギリスさんとのひと時は、同じ秒単位で違った一瞬なのでしょう。どちらの優劣もなく、わたしたちに掛け替えのないそれらが、愛しいと、彼の青年はおっしゃりたかったのでしょう。
 
(妬みがないといえば、嘘になりますけども。)
 
 あなたは愛されているのですよ、イギリスさん。
 声を大にせずとも届くと願う言葉を、私は茶と一緒に呑み込むのです。

#掌編 #島国同盟#アルアサ

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