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青色の寓話たち

すこしふしぎな沖神。恋になる前に終わったこと。※葬式描写有


 黒いワンピースを着た。質素なつくりで、飾りもレースも一切ない。胸元にギャザーが少し入っているくらいで、本当に質素なものだ。「似合ってるよ、」と新八が言った。そういう新八は黒い袴に黒い羽織り姿で、髪まで黒いものだから、頭から先まで真っ黒だ。「これ、持ってね。」そう言って新八は薄紫色をした透明な玉がいくつも紐に通されたブレスレットのようなものを寄越した。「きれいアル、」そう言うと、「数珠っていうんだよ。お焼香あげるときにこうやって手に絡めるんだ。」といって、手の平に絡めて両手を合わせた。また一つ賢くなった気分。

「うーい、支度できたんなら行くぞー、」

 ぼりぼりと頭を掻きながら、気だるげに銀ちゃんが奥から出てくる。銀ちゃんはいつもの白い着流しから黒一色の着流しに着替えていた。全員まっくろだ。なんか、おかしい。
 外に出る。曇り空。雨が降りそうとまではいかないけれど、どんよりとしていて、あ、誰かが泣いているなと、思った。

「ほら、行くぞ神楽、」



 青いドレスに、白いエプロンを着ていた。頭にはいつもの髪飾りではなくて、大きな黒いりぼん。私の明るいオレンジの髪によく映えていた。というのも、私は今、水面を見下ろして自分の姿を確認していて、そしてここはどこかを思案していたのだ。目の前の水面、湖の畔にはお茶会を開いたかのようにテーブルの上へあらゆる食器やティーポットが並べられている。ケーキやマカロン、プティング、ムースにババロア、おいしそうな洋菓子も所狭しと並んでいた。紅茶の香りも流れてきては鼻腔をくすぐる。しかしむき出しの地面にじかにテーブルを置くとは、いささかシュールな光景だ。
 と、そんな風に周りの状況を観察していると、はらりはらりと、なにか紙、カードが落ちてきた。
 手にとって見てみると、トランプ。それはトランプだった。ダイヤのエース。
 トランプは無数に落ちてくる。蝶の羽ばたきのように、桜の散り際のように。スペードの十、ハートのキング。もしかして、トランプの数だけ降ってくるのだろうか?

「お嬢さんお嬢さん、ちょいとこちらに来ておくんなまし。」

 声がして、振り向く。テーブルに並んだいすの一つへ、誰かが座っていた。



 お経とやらは退屈で仕方がなかった。何度か船を漕いでは隣で正座する銀ちゃんに頭をはたかれて目が覚めた。仕方がないので、せめて眠らないようにと周りを観察をしてみる。皆、一様に黒い服を着て、下を向いている。こん中一人くらい寝ている奴いるだろと怪しみながら、一人一人睨んでみるが、時折肩を震わせる奴は居ても、私のように船を漕ぐ輩はいなかった。ううむ、少し、恥ずかしい。
 きょろきょろと落ち着きのない私の頭を銀ちゃんが再度はたく。しぶしぶ前を見る。すると、お坊さんの座る向こう側に遺影(と言うと、新八が教えてくれた)があり、そこに映る人物とかっちり目が合った気がした。嫌な気分だ。ぷいと、視線を外す。ああもう、どこ見てりゃいいんだ。



 ホールケーキの置かれた席に腰掛けた。正面には銀色の仮面をつけた男が座っている。男、というか、仮面をつけていても分かる。そいつは沖田だった。白のシャツに黒のチョッキ。そして、頭にはふわふわしたうさぎの耳が。うわ、似合わねー。

「何アルかコスプレアルか。言っとくが全力で気持ち悪いし似合ってないアル。」
「コスプレたあお互いさまだ。アンタだってなかなか笑える格好してますぜィ。そのひらひらしたエプロンとかマジキショイ。」
「んだとゴルア!」

 ホールケーキを皿ごと投げつける。ひらりと沖田はそれをかわす。ぐしゃ、がしゃん、ぼと。ホールケーキは哀れ、地面に落ちて見るも無残な姿と成り果てた。

「まあまあ、今回は一時休戦といきましょうや。積もる話もあるみたいだし?」

 沖田はいつものひょうひょうとした態度と口調でそう言った。積もる話だ?どこにあるんだそんなもの。

「私には積もる話なんて微塵も欠片もないアル。さっさと消えるヨロシ。」
「俺だってねーよ。出来ればこんな耳つけてまでお前と話してたくなんかさらさらねーけど、まあ、呼ばれたんだから最期くらい出向いてやろうという、そういうサービス精神みたいな?うわ、俺こころ広すぎー。」
「何言ってんだかわけわかんねーヨ。」

 その時。ぱしゃん、背後で水の撥ねる音がした。
 何故かその音が、ぞぞぞと背筋を這ってうごめいて、私の身を凍らせた気がして、身動きがとれなくなった。
 嫌な予感がした。

「俺を呼んだのはお前だって言ってんでィ。」



「神楽ちゃん?どうしたの?気分でも悪いの?」

 右隣に正座する新八が小声で尋ねてきた。私は口元を押さえて、小さく頭を横に振る。「どうした?」銀ちゃんが更に尋ねてくる。「なんか、さっきから俯いてて、顔色も悪そうで…、ちょっと抜けた方がいいんじゃ、」「神楽、大丈夫か、」「神楽ちゃん、」「かぐら」「  」、

 なんだか、二人の声が遠のいてく。



「どうして私がお前を呼んだアルか、」

 私が強い口調でそう訊くと、沖田は「言いたいことがあったんじゃねーの。」と至極気だるげでやる気なさそうに言った。その態度がやはり勘に障る。ムカつく。

「いっとくがお前なんかに言いたいことなんか米粒一つ分だって存在しないアル。」
「別に俺だってねーよ。」
「じゃあなんでいるアルか。」
「だから、お前が呼んだせいだよ。」
「呼んでないアル。」
「呼んだんだよ。じゃなきゃ誰がこんなところまで来てやるかっつーの。言ってんだろィ?最期のサービス。それも時間制約付き。話は手短に且つ簡潔にお願いしまさァ。」
「このケーキ食べていいアルか?」
「てめえ、人の話きけよ。」

目の前のティラミス(というやつらしいことは知っているが、実は食べたことがない)を見つめながら、私は考えた。沖田に言いたいこと?ない。こんな奴にくれてやる言葉などない。それよりも目の前の宝石たちを咀嚼したい。沖田は大きく大きくため息をついた。そして、幾分柔らかな声で言った。

「最後くらいお互い腹割って話してみろってことなんだろ。」

 ショートケーキに突き刺したフォークと手を止めた。
 沖田を見る。銀色の仮面が邪魔で、表情は見えない。私は少し考えて、思案して、とりあえず、思ったことを言ってみた。

「私はお前が嫌いアル。」
「ふーん。」
「嫌いで、キライで、きらい。それ以上はないネ。」
「あっそ。」
「でも、悲しいのはほんとヨ。」
「…。」
「最後なんだロ?じゃあ、特別サービスで言ってやるネ。私は悲しいアル。」
「かなしい、」
「うん。他に言葉がないくらい。」
「そうか。」
「うん。」
「俺も悲しいかもしんねえ。」
「私と話せなくなることがアルか?」
「それもあるけど、なんなんだろうな、うん、よく分かんねーけど、この気持ちがなんだったのか、それが分からないまま終わるのが、ちょいと寂しいかもしんねえなァ。もうきっと、永遠に分からなくなる。」
「それは私もきっと一緒アル。私、お前のこと嫌いだったけど、でも、宙ぶらりんな感情が、ここに吊るされて待ちぼうけしてるネ。これはなんだったんだろう。ちょっぴり苦しいアル。」
「そうか。」

 おだやかな会話だった。こんな風に話したことが、今までいくつあったろうか。きっと、片手で足りてしまうほどだろう。沖田の顔が見えないことが、珍しく、残念だ。本当に、珍しく。
 ふいに、沖田は懐中時計を取り出して時間を確認した。私はその姿を見て、時間がきたことを悟った。

「仮面、」
「ん?」
「仮面、とって欲しいアル。」
「あ?ああ、これか。別にいいけど。」

 沖田の返事を待たずに、私は目の前の宝石のようなケーキ、美しい陶器の並ぶ真っ白なテーブルクロスの上へ乗り出し、足を踏み出した。紅茶の入ったティーカップをひっくり返させ、真っ赤な苺はショートケーキから転がり落ちる。かまわずテーブルの上をずかずか、沖田の目の前で停止した。沖田は呆れた顔で仮面をはずし、私を見上げた。

「お前つくづくあり得ない女だなァ。」

 はしばみ色の髪から、真っ青な瞳が覗く。丸みを帯びた目のかたち、バランスよい頬骨のライン、薄い、色味を帯びない小さな口。彼だった。沖田だった。なにひとつ変わりなく、沖田総悟がそこに居た。
 私も沖田も何も言わず、互いの瞳の奥の奥、お互いに嫌悪し合った部分をまるで確認し合うように見つめた。私の瞳は海の色をしているが、沖田のそれは空の色をしている。似ていたのだろう。あまりに大きく。似すぎていた。でもね、今気がついた。似ていることは同時に私たちが全くのべつものであるということで、だから、そう、きっと、色んな触れ方が、出来たはずなのだろう。

「いまさら遅いかもしんないアル。
「いいんじゃねえの?なにごとにも遅すぎることなんてないって、なんかで言ってたし。」
「信憑性ゼロネ。」

 ふふ、と、笑って、私はかがんだ。青いドレスに生クリームがべったり。沖田の顔が目の前に。瞳、はしばみ色の睫、整った眉、皮膚の下を這う青白い血流、少し乾いた唇。
 私が落とした影に、沖田が包まれる。
 唇と唇を触れ合わせた。ふにゃ、やわらかい感触、目を閉じて、世界を遮断した、最後に見詰めた沖田は、無言で笑んでいた。笑って細められた目じりが美しく、愛しく、ああ、かなしいと、思った。



「気がついた?神楽ちゃん、」

 木目調の天井が目に入った。見知らぬ天井だ。声を辿ると、横には新八がいた。

「具合悪くなって、ここで休ませてもらったんだよ、おぼえてる?」

 私は黒のワンピースを着ていた。生クリームはついていなかった。

「お葬式は?」「お経も読み終わって、今、火葬場へ皆移動したよ。あ、銀さん、神楽ちゃん気がついたみたいです。」新八が襖を開けて入ってきた銀ちゃんに言った。

 私は布団の上へ仰向けで横になっていた。なんとなく、頭がぐらついている。
「銀ちゃん、」私は新八の横で胡坐をかいて座った銀ちゃんへ、お願いした。

「私、お骨、拾いたいアル。」

 煙が昇るのを見詰めた。どんよりの曇り空に吸い込まれてゆく。誰かが泣いてる空に、燃やされて灰になって還っていく。そう思案した。実にどうでもいい考えだ。
 私は目を閉じた。
 嫌いだった。何かを、誰かを傷つけるのは嫌だった。守りたかった。私は守りたかった。けれど、あいつは守る為に傷つけることを厭わなかった。それが嫌だった。傷つけても平気な顔して、ひょうひょうとしていた。正しいと思い込んでいるような、その曲がらない背筋が嫌い。揺るげよと、毒を吐きたくなる。気に食わない。
 鏡を前にしたかのような、嫌悪感。
 強さに魅入られた存在だと知っていた。私もそうだった。血の匂いにざわめく髪、粟立つ肌。踊る高揚感、ざわざわざわ、ほら、開いた瞳孔がかち合う。同じ目をしている。だから嫌い。
 でもね。あいつを、お前を否定するほどに、私は自分を否定することになっていく。高鳴る心音はあいつが振るう太刀筋に呼応。まっすぐに揺るぎないその刃に血が騒いで、どうしようもなくなる。
 嫌いだと知っていた。同類であると思いたくなかった。こいつと私は違うのだと、憎しみの視線を向けた。それを冷ややかに返したお前の、あの目が忘れられない。
 兄の影がちらつく。私の(狂気の)影がちらつく。きらい。なぐりたい。けしたい。
 すっと、時折ふせたまなこが悲しそうだったのを、本当は知っていた。
 兄の影を見て憎悪した。自分の狂気の影を見て嫌悪した。
 私は結局、お前に自己を投影するばかりで、お前自身を見たことはなかったのだ。
 自己嫌悪を自身に似た他者へ投影して、錯覚を起こしてはいがみあい。
 わたしたちは、そんな関係だった。だから幼かった。恋でもなく、愛にもなれず、宙ぶらりんな互いへのこの感情。どこにも置くことのできない想い。くるしい。かなしい。

「神楽、」

 目を開く。銀ちゃんが手を差し出してくれていた。新八が心配そうにこちらを見ていた。私は大丈夫ヨ、あいつの骨が真っ黒になってるとこ見て笑ってやるネ。そう言うと、新八はへにゃりと眉を八の字に曲げて苦笑した。「骨は燃えないんだよ。」



 湖とテーブルと私が在った。沖田はいなかった。私はテーブルクロスの上でうずくまった。涙が出るかもしれないと思った。でも、出なかった。ひざを抱えて考えた。まるで青色のおとぎばなしのようだと。私はウサギを追いかけて穴に落ちても、恋実らず泡ぶくになっても、ガラスの靴を履いても毒リンゴを食べてもいないけれど、私とお前は、水面を見詰めるような関係だった私たちは、海よりも空よりも私の瞳よりもお前の瞳よりも、碧く、蒼く、青く、あおく。まっさおに、透き通って、歪んで、冷たくて、深く、浅く、鏡のような水面を伴って、かなしい、いとしい、色だった。
 初めてのキスにはなんの味もしなかった。でも、初めてお前に触れたような気が、したんだ。おとぎばなしのように。
 ねえ、総悟。



#短編 #沖神

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