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,エヴァ

通じた命と


 目の前で少年が笑っている。その笑みは頬を一撫でする優しい風のようで、それでいてどこか哀しさを忘れさせてくれない憂いを帯びたそれだった。
  シンジはその笑みが何ごとかを発するのを聞き取ったが、すぐにその言葉が、単語が、まるで自分の理解できないもので語られていることに気が付いた。待って、と制止した。通じるかどうか考える間もなく、ただ「待って」と呼びかけた。少年は笑みを崩さぬまま何ごとかを語り掛け続ける、シンジは必死になって更に呼びかける。待って、と。君の言うことが、言葉が、僕にはなにひとつ理解できないんだ。だから待って。いま暫しの時間を、猶予を、僕にちょうだい、と。けれど少年は笑う。笑って続ける。シンジは焦る。予感めいたものが胸をよぎる。このままではだめだ。だから待って。少年はやはり、笑う。なにごとかを話し続ける。シンジはまるで通じない言葉に、存在に、更に当惑する。
  そのときふいに、少年は言葉ではなく行為に移した。シンジの両の手を握りしめると、その細い両腕を自らの首元へと招きよせた。そしてその指の一本一本を、ゆっくりと開き、少年の喉元へと絡みつくように、やわくやわらかく、絞殺するかのように、シンジの指先をほどいて絡みつかせてみせた。
  もちろん、シンジは困惑し、制止した。やめて、ちがう、こんなのは違う。こんなことを、自分は望んでいない。こんなことをするために、君と話したかったわけじゃない。君と居たかったわけじゃない。少年は笑う。シンジの耳元で声がする。少年の以外の声。言葉。『それはあなたの敵よ』『それはあなたを傷つけるテキよ』『倒しなさい』『殺しなさい』『それは、ヒトではない』
 『ヒトではない、テキなのよ。みんなの、あなたの』
  そうしてシンジは、意識する間もなく、笑みを浮かべる少年の首に、力をこめていた。
 (ちがう)
 (こんなのは、)
 (望んでなかった)
 「ありがとう、シンジ君」
  時が止まったかのような静寂のなか、確かに聞いた。
  通じないはずの言葉が通じ、
  少年の、渚カヲルという「ヒト」の命が、絶たれた。
  シンジ自らの手によって。
 (通じたのに)
 (どうして)
  この手がその手と繋がれなかったことが、あまりにも残酷過ぎた。
  涙さえ出なかった。


#掌編 #カヲシン

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