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ゲ謎
どこにもないかたちを探してる
どこにも存在しないのに、確かに在ったはずだと確信している、そういう己が心を、誰かは「気が違ったのだ」と嗤うかもしれない。
事実、それは的を射ていると、水木は思う。水木には、自分がよそ様からそう判断されてやむ無しの、酷い様相をしている自覚がある。
色彩が抜けたような有様の、真っ白な頭髪は、見た目を裏切って老いてはいない。艶も張りも残っている。だのに色だけが抜け落ちているのが、一層、異様だった。
人は違和感を嫌う。皆の曖昧な認識で形作られた「ふつう」なるものから逸したものを疎む。
こわいから。不安だから。
水木には、その気持ちがわかる。同じ人だから分かる。
普通でないものは、怖いのだ。
だが、水木には分からなくなる。
(普通とはなんだ)
それは、誰が定義づけたものだろうか。
皆が無意識下で「そういうもの」として扱う、目に見えない、形のない、あれは、なんだ。
一〇年前、どこかにいる「みんな」が掲げた普通とは、国のために死ぬることを良しとした。
皆んなとは、誰だったのか。国とはなんだったのか。自分は、なんのために死ぬことを、大義と信じようとしていたのか。
結局、あれらは全て「かたちのないもの」だった。どこかにいる「皆んな」は「国」のことだったはずだが、振り返れば、焼け跡にいたのは、ないものをあるものだと思い込んで、思い込まされて、思い込むことを選んで、そうして、明日生きていくことさえ危ういまま、何もかも奪われ、放り出された人間たちだけだった。
なぐら村から帰還した水木は、自らが普通なるものから逸脱したのだと自認した。せざるを得なかった。それは内と外からもたらされた。水木の内側は、栓の壊れた悲しみがさざめいていた。水木の外側は、くちさがない人間たちがひしめき合い、気が違ったのだと囁きあった。どうしたって、自認せざるを得なかった。自分は、「変わって」しまった、逸脱してしまったのだと。
一〇年前から、その前からずっと変わらず、ひとびとはどこかにいる「皆んな」が取り決めた「普通」が好きだ。水木もその一員だったのだと思う。かたちないものだが、皆んなが信じてるから、それが正しい気がしたのだ。安心するのだ。
水木は野心に燃えていたし、誰かを蹴落としてでもと心の裡を滾らせて、人と同じでは生き残れないことを信条として、あの村にも飛び込んだわけだが、でも結局、どこかでは安心していた。「出世すれば踏みつけられない」という、皆んなの普通を──強者が都合よく敷いて提供した仕組みを、鵜呑みにすることに、安堵していたのだ。どこかで。
「皆んな」から、「普通」から外れた今だから分かる。自分は凡夫だった。自分は人とは違うことをして、違うのだと証明して、そうして勝ち取るのだと息巻いていたが、でも結局、
「──なにも守れなかった、誰も救えなかった」
頭が痛む。
そう、この痛みだ。
水木には探しているものがある。
どこにもないのに、確かに在ったはずのもの。この痛みの原因となるもの。村の惨事のさなかに落としてきた記憶。
忘れてしまったのだから、それはもう、どこにもないものでしかないのに、水木の内側は、そんなはずがないとさざめく。嗚咽する。
一人、山道で発見された時に押し寄せた悲しみの残滓が、痛みとなって、白く色の抜けた頭部を苛む。在るのだと、叫ぶかのように。思い出すなと、警鐘するかのように。
そんなふうに、頭を抱え、苛みに顔を歪める水木に、ひとはいう。「気の毒に」「違ってしまった」「以前の君とはまるで」
(たとえば俺が以前の自分とまるでちがうとして、それがなんだというのだ)
記憶を失うことが異質なのか、
一人生還することが異色なのか、
髪色が抜け落ちて、覇気を無くしたら異様なのか。
──墓場から生まれた子供を抱きしめたら、異端なのか。
何も守れなかった。誰も救えなかった。
何が、も、誰を、も、それすら全て、記憶ごと失ってしまった。
頭部を苛む痛みは、きっと、思い出すなと鳴らされる警鐘だから、自分は頭がかち割れても、もう取り戻すことはできない。きっと、死ぬまで、ずっと。
それでも、かたちないそれを探してやまない。
皆んなが信じたがる。かたちのない、普通と呼ぶものを。
水木も探している。かたちのない、いつか在ったはずのものを。
(わかってる、不安なんだろう、悲しいんだろう、寄る辺が欲しいんだろう)
腕の中で、冷たい生き物が、赤子がみじろいだ。墓から生まれた、かたちのあるものが。
水木は思う。確信する。
紅い桜の木の下、そこに佇む男のことを、きっと水木は、思い出せない。手繰り寄せられない。
内側にさざめく悲しみは、水木のこころを浸しつづけて、きっとこの生涯は閉じる。
頭なんてかち割れていいから、思い出したかった。気が狂ったのだと言われて死ぬんだとして、それでもいいから思い出したかった。
でも、けど、もしかしたら、
かたちのないものは、目の前の赤子のかたちをしていたのかもしれないと、莫迦みたいだけれど、そう思ってしまったら、もうだめだった。
(──いつかお主にも、心から愛おしいと思う存在が現れる)
不安だから、寄る辺が欲しいから、信じたいから、思い込みたいから。
人間の愚かな弱さがみせる幻覚かもしれない。わかってる。ふつうなんてない。過ぎ去った記憶は取り戻せない。死んでしまった命も、時間も、約束も、もう、なにも、なにも。なにもかも、取り戻せない。
それでも、この腕の中のかたちが、探してたものかもしれないと、
弱い人間の水木は、抱きしめる手を、緩めることはできなかった。
だからそのまま、雨粒にさらされて冷えた生き物同士は、身を寄せ合ったのだ。
かたちのないものを探し続けた夜が、終わるまで。
(ゲゲゲの謎、1周年おめでとうございます)
.
#掌編
#水木
2024.11.17
No.67
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どこにも存在しないのに、確かに在ったはずだと確信している、そういう己が心を、誰かは「気が違ったのだ」と嗤うかもしれない。
事実、それは的を射ていると、水木は思う。水木には、自分がよそ様からそう判断されてやむ無しの、酷い様相をしている自覚がある。
色彩が抜けたような有様の、真っ白な頭髪は、見た目を裏切って老いてはいない。艶も張りも残っている。だのに色だけが抜け落ちているのが、一層、異様だった。
人は違和感を嫌う。皆の曖昧な認識で形作られた「ふつう」なるものから逸したものを疎む。
こわいから。不安だから。
水木には、その気持ちがわかる。同じ人だから分かる。
普通でないものは、怖いのだ。
だが、水木には分からなくなる。
(普通とはなんだ)
それは、誰が定義づけたものだろうか。
皆が無意識下で「そういうもの」として扱う、目に見えない、形のない、あれは、なんだ。
一〇年前、どこかにいる「みんな」が掲げた普通とは、国のために死ぬることを良しとした。
皆んなとは、誰だったのか。国とはなんだったのか。自分は、なんのために死ぬことを、大義と信じようとしていたのか。
結局、あれらは全て「かたちのないもの」だった。どこかにいる「皆んな」は「国」のことだったはずだが、振り返れば、焼け跡にいたのは、ないものをあるものだと思い込んで、思い込まされて、思い込むことを選んで、そうして、明日生きていくことさえ危ういまま、何もかも奪われ、放り出された人間たちだけだった。
なぐら村から帰還した水木は、自らが普通なるものから逸脱したのだと自認した。せざるを得なかった。それは内と外からもたらされた。水木の内側は、栓の壊れた悲しみがさざめいていた。水木の外側は、くちさがない人間たちがひしめき合い、気が違ったのだと囁きあった。どうしたって、自認せざるを得なかった。自分は、「変わって」しまった、逸脱してしまったのだと。
一〇年前から、その前からずっと変わらず、ひとびとはどこかにいる「皆んな」が取り決めた「普通」が好きだ。水木もその一員だったのだと思う。かたちないものだが、皆んなが信じてるから、それが正しい気がしたのだ。安心するのだ。
水木は野心に燃えていたし、誰かを蹴落としてでもと心の裡を滾らせて、人と同じでは生き残れないことを信条として、あの村にも飛び込んだわけだが、でも結局、どこかでは安心していた。「出世すれば踏みつけられない」という、皆んなの普通を──強者が都合よく敷いて提供した仕組みを、鵜呑みにすることに、安堵していたのだ。どこかで。
「皆んな」から、「普通」から外れた今だから分かる。自分は凡夫だった。自分は人とは違うことをして、違うのだと証明して、そうして勝ち取るのだと息巻いていたが、でも結局、
「──なにも守れなかった、誰も救えなかった」
頭が痛む。
そう、この痛みだ。
水木には探しているものがある。
どこにもないのに、確かに在ったはずのもの。この痛みの原因となるもの。村の惨事のさなかに落としてきた記憶。
忘れてしまったのだから、それはもう、どこにもないものでしかないのに、水木の内側は、そんなはずがないとさざめく。嗚咽する。
一人、山道で発見された時に押し寄せた悲しみの残滓が、痛みとなって、白く色の抜けた頭部を苛む。在るのだと、叫ぶかのように。思い出すなと、警鐘するかのように。
そんなふうに、頭を抱え、苛みに顔を歪める水木に、ひとはいう。「気の毒に」「違ってしまった」「以前の君とはまるで」
(たとえば俺が以前の自分とまるでちがうとして、それがなんだというのだ)
記憶を失うことが異質なのか、
一人生還することが異色なのか、
髪色が抜け落ちて、覇気を無くしたら異様なのか。
──墓場から生まれた子供を抱きしめたら、異端なのか。
何も守れなかった。誰も救えなかった。
何が、も、誰を、も、それすら全て、記憶ごと失ってしまった。
頭部を苛む痛みは、きっと、思い出すなと鳴らされる警鐘だから、自分は頭がかち割れても、もう取り戻すことはできない。きっと、死ぬまで、ずっと。
それでも、かたちないそれを探してやまない。
皆んなが信じたがる。かたちのない、普通と呼ぶものを。
水木も探している。かたちのない、いつか在ったはずのものを。
(わかってる、不安なんだろう、悲しいんだろう、寄る辺が欲しいんだろう)
腕の中で、冷たい生き物が、赤子がみじろいだ。墓から生まれた、かたちのあるものが。
水木は思う。確信する。
紅い桜の木の下、そこに佇む男のことを、きっと水木は、思い出せない。手繰り寄せられない。
内側にさざめく悲しみは、水木のこころを浸しつづけて、きっとこの生涯は閉じる。
頭なんてかち割れていいから、思い出したかった。気が狂ったのだと言われて死ぬんだとして、それでもいいから思い出したかった。
でも、けど、もしかしたら、
かたちのないものは、目の前の赤子のかたちをしていたのかもしれないと、莫迦みたいだけれど、そう思ってしまったら、もうだめだった。
(──いつかお主にも、心から愛おしいと思う存在が現れる)
不安だから、寄る辺が欲しいから、信じたいから、思い込みたいから。
人間の愚かな弱さがみせる幻覚かもしれない。わかってる。ふつうなんてない。過ぎ去った記憶は取り戻せない。死んでしまった命も、時間も、約束も、もう、なにも、なにも。なにもかも、取り戻せない。
それでも、この腕の中のかたちが、探してたものかもしれないと、
弱い人間の水木は、抱きしめる手を、緩めることはできなかった。
だからそのまま、雨粒にさらされて冷えた生き物同士は、身を寄せ合ったのだ。
かたちのないものを探し続けた夜が、終わるまで。
(ゲゲゲの謎、1周年おめでとうございます)
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